一人朗読劇(千の風の詩が生まれた由来) 



       メアリー エリザベス フライさんの
      Do not stand at my grave and weep
    
    < 私の墓標の前に立ってもそこに私はいないのよ>

 
                                       潤色・訳詩 宮田達夫(2007年3月17日)


Do not stand at my grave and weep

I am not there, I do not sleep

I am in a thousand winds that blow

I am the softly falling snow

II am the gentle showers of rain

I am the fields of ripening grain

I am in the morning hush

I am in the graceful rush

Of beautiful birds in circling flight

I am the starshine of the night

I am in the flowers that bloom

I am in a quiet room

I am in the birds that sing

I am in the each lovely thing

Do not stand at my grave and cry

I am not there, I did not die.


今朗読した詩は1932年にメアリー エリザベス フライさんが書いたオリジナルバージョンと

言われてます。

日本では[千の風になって]という名前で知られてます。

この詩はいろいろの場面でいろいろな人がいろいろの人の為に朗読されています。

英語、翻訳して日本語、或いは中国語、フランス語、イタリア語、スワヒリ語、マレー語でも

朗読されているかもしれません。

何故かこの詩が出来たのか由来が不明です。

言葉の響きから、ずうっと昔に、アメリカ インディアンが創ったんじゃないかとも、

言われています。



アメリカ インディアン?ナバホ?ジェロニモ?プエブロ?アパッチ?

私は思いついたのです。作者不明のこの詩がどうして出来たか、解明の旅に出ようと

そう思いつくと,もう居ても立っても居られません。

旅のコースを推理小説のように考えました。

モニュメントバレーがいいかな?あそこはナバホが住んでいるし、神秘的風景が沢山あるし。

いいや、違う、何か違う。

何か神秘的山があり、谷があり、不思議な風が吹いてこないといけないんだよな?

この詩の雰囲気から。



人間なんて、考える事がみな勝手です。自分の良いように、良いように考える動物ですから、

都合がよければそれでいいのです。


作者不明の作者を捜し求めて旅立つ所は英語を喋らないといけない、

時にはインディアン語も要るかもしれない?

そこで私はその両方の言葉を喋れる友人のアメリカ人、それも美しい女性にお願いする事にしたのです。

でも才能豊かなその美しい彼女には一つ欠点がありました。それはお酒が大好きだという事です。

結局第一の行き先はニューメキシコ州のサンタフェに決めました。

あそこはインディアンのいろいろな種族が居るからです。


捜し求める旅にしても、少しは変化がある旅でないと面白くありません。

そこで、ロスアンジェルスから鉄道のアムトラクでサンタフェにいく事にしました。

でもサンタフェには線路がありません。普通は少し手前のアルバカーキーから車でいきます。

でももう少し先のラミーという駅からシャトルバスが運んでくれるので、線路は無いけど

アムトラクの切符にはラミーからサンタフェまでとはっきり印字してありました。

我々が乗るのは寝台車の6号車です。客室は夜になると二段寝台に模様替えします。

車掌は黒人でアイスマンといいます。黒人なのにアイスマンです。

列車が走り出すと,同伴の美しい女性は、そうそう、名前はミス ウイスキーなのです。

そのミス ウイスキーは早々に私を放ってパノラマカーに、そこにはバーがあるからです。

私はふと思い出して通路を歩いてくる車掌のアイスマンを見てこう尋ねました。

一寸すいません、車掌さん アイスマンさんはDo not stand at my greave and weep

という詩をご存知ですか?

アイスマンは怪訝そうな顔をして首を横に振りました。

ミス ウイスキーはパノラマカーでご機嫌です。

アムトラクは荒野の中を走り続けています。

夜になり朝が来て、午後になってようやくラミー駅に到着です。

線路の横にシャトルバスのバンがでんと停車してます。

シャトルバスで一時間、ニューメキシコのサンタフェの町に到着です。

ニューメキシコにはナバホ、2つのアパッチ、19のプエブロを含む22のインディアンの

自治区があります。

Do not stand at my greave and weepの詩がいかにも生まれて良い雰囲気の所です。

サンタフェの美味しいワインを横目にミス ウイスキーを無理やり引っ張って、

インディアン博物館のドアを開け中に入りました。

インディアン博物館なら最適だと考えたからです。

ミス ウイスキーが詩の事を聞くとインディアンの係りの人が無言で首を横に振りました。

暑いからワインを飲みたいというミス ウイスキーをなだめて、サンタフェ市立図書館に行きました。

入り口のを入った所に来館者を相手してくれる図書館員がいました。

年配のおばさんです。ミヅ ウイスキーが此処に来た理由を説明してくれました。


一人目のおばさん館員は怪訝そうでしたが隣に座っていたメガのをかけた、おばさん館員が

突然「私、この詩知ってる」と言い机の前のコンピューターをたたきだしました。

しばらくすると一枚の紙がプリンターから出てきました。


その紙には、Do not stand at my greave and weepと書かれていて、その下にこの詩が出来た

由来が書かれています。

思わずミス ウイスキーが、やったあと叫びました。

めがねのおばさん館員に『あなたの名前は?」「名刺は?ある?」とたて続けに私は聞きました。

名刺にはこう印刷してありました。

City of Santa Fe,Miriam Bobkoff, Adult Services Librarian, 

Santa Fe Public Libraryと。


念の為と翌日面倒くさがるミス ウイスキーをなだめすかして、ロスアラモスの図書館に向かいました。

ロスアラモスって、耳にした事があいませんか?

あの広島に原爆第一号を此処で作り投下した、あの原爆を作ったあのマンハッタン計画の

秘密基地があった所です。

此処の図書館では、簡単に知らないわと言われたのです。

でも不思議な因縁はこの詩の由来が不思議にロスアラモスの隣のサンタフェで判ったことです。

何故かって?だって広島に落とした悲しい原爆を初めて製造した町だからです。

マンハッタン計画という名前で秘密裏に原爆製造の計画が立てられ、オッペンハイマー博士はじめ

科学者が此処に集められ製造したのです。

当時は此処に送られてくる郵便はサンタフェ郵便局止めでした。

そしてここにいる人たちは、名前が無く番号だったそうです。そんな悲しい思い出がある場所の


近くで、私の墓標の前に立たないでの詩が見つかるなんて。


詩の由来はミス ウイスキーがバーボンウイスキーを飲みながら日本語に訳してくれました。

私はウイスキーが日本語で説明してくれるのを聞きながらメアリー フライさんになって

その雰囲気を想像していました。


時は1905年、メアリー エリザベス フライ さんはアメリカのオハイオ州のデイトンという

小さな町で生まれたのです。

フライさんは3歳で孤児となり12歳の時バルチモアに移り住みました。

正式な教育を受けていないのにメアリーは優れた記憶力と熱心な読者だったそうです。

1927年に衣料業を営むクラウド フライさんと結婚メアリーさんは自分でも花を育てて

販売もしていたそうです。

1932年メアリーさんのclosest friendのマーガレット シュワルツコフさんがドイツから

メアリーさんの所に来て同居する事になりました。

そのころのドイツはヒットラーが政権を取りユダヤ人の迫害が始まっていたころです。

マーガレットさんもドイツ系ユダヤ人で彼女の母親もアメリカに娘と共に来たかったのですが、

かなりのお年である上に患っていた病状が思わしくなく来れなかったのです。

その頃のアメリカにはこのような人達がかなりいたそうです。

メアリーは更にこう話しました。

マーガレットは毎日お母様の事が心配で、手紙を送る事も出来なくて心を痛めていたの、

勿論母親からは全く手紙は来ませんでした。

その事が更にマーガレットにの心の中は不安と心配が入り混じっていたのです。

勿論私達も大使館を通して出来る限りの事をしたのよ。お分かりになるでしょう?

こうしたことって?

そしてやっと判ったことは悲しい事だったの。

それはすでにお母様がお亡くなりになっていたのです。

マーガレットは毎日毎日泣くばかりで、彼女はもともと心を痛めていたので泣きくれる日々でした。

この頃はドイツの情勢はユダヤ人にはますます厳しい状況で帰るなんということは不可能でした。

泣きくれるマーガレットの気分を変えてあげようと、ある日買い物に連れさしたのです。

マーケットで買ったものを茶色の紙袋に入れて家の持ち帰りました。

キッチンテーブルで茶色の紙袋から買って来たものを出して仕分けをしていたら、

突然マーガレットが泣き出したのです。

私は何がなんだか判りませんでした。

私はマーガレットに尋ねたのです?どうしたの?と


するとマーガレットは私が手にしている物を見て、それなの、それ、

私の母が大好きなものなのと言ったのです。

それは林檎でした。

マーガレット泣かないで、お願いだから、泣かないで

するとマーガレットは、私が今何が一番悲しいかというと私のお母様の墓標の前に立って、

お別れのさようならも言えないことなのよ、

I never had the chance to stand at my mother's grave and say goodbye.

そう言い捨てると美しい大きな瞳から流れ落ちる涙を拭きもせずに

二階の自室に駆け上がったて行ったの。


その時メアリーの脳裏には火花が散るように瞬間に電撃的に言葉が泉のように湧き出てきたのです。

そして買い物を点検するため手にしていたペンで空になった茶色の紙の紙袋の余白に

無意識のままこみ上げてくる詩を夢中で書き綴ったのです。


私は何もかも忘れて宇宙の中総てが自分の世界だと思うほどの気分でした。

大きな瞳にまだ涙が残っているままで、少し気持ちが落ち着いたマーガレットが二階から降りてきました。

私はすぐに今しがた湧き出るように書き綴った紙の買い物紙袋をマーガレットに差し出して、

これ、私が今書いた詩なの、私の今思う、人の生と死のあり方なの。

貴女の為になるかどうか判らないけれど?

マーガレットは大きな瞳でメアリーの走り書きの詩に目を走らせました。

読み終る瞬間マーガレットはメアリーを力強く抱きしめてこう言ったのです。

私はこの詩を一生大切にするわ。

マーガレットの大きな濡れた瞳には涙はなく心の安堵を感じさす優しい瞳になっていました。


Do not stand at my grave and weep
私の墓標の前で泣かないで<よ>

I am not there, I do not sleep
墓標の中に居ないし、私は眠ってないの<よ>

I am in a thousand winds that blow
私は空を吹きまわる千の風の中にいるの

I am the softly falling snow
私は綿のような雪になり降り注いでいるの

I am the gentle showers of rain
私は音もない雨になり降り注いでいるの

I am the fields of ripening grain
私は野原の豊かな自然の中にいるの

I am in the morning hush
私は朝の静寂の空気の中にたたずんでいるの

I am in the graceful rush
淑やかなあわただしさの中にたたずんでいるの

Of beautiful birds in circling flight
輪を描きながら空を飛ぶ鳥たち

I am the starshine of the night
私は星降る夜の空に

I am in the flowers that bloom
私は美しく咲く花の中にいるの

I am in a quiet room
私は静かな部屋の中に

I am in the birds that sing
私は鳥になってさえずり

I am in the each lovely thing
私は総べての愛の中に

Do not stand at my grave and cry
私の墓標の前で泣かないで<ね>

I am not there, I did not die.
私はいないのよ、そこには、死んでないの<よ>


メアリー エリザベス フライさんは、この自分の詩を世間に広く広めるとか、

出版するということはなく、紙に書いてわずかな知人に教えただけだそうです。


勿論この詩にはなんら著作権も儲けておりません。


この詩が人々の共有財産であるために、彼女は一銭の報酬も受けていないのです。

この件に関してメアリーはこう話しています。

この詩は私だけのものじゃないの、皆のものよ。今でも思うの、

これは安らぎについて書いたのよ。

もし私がお金を受け取ったりしたら、意味がなくなるわ。と

その後、各国で行われる、戦争記念日に、慰霊祭に、追悼式に、個人の葬式に、

必ずというほどこの詩は姿を現してみんなの心を和らげてくれるのです。

あまりに知られすぎていて、神秘性が強く、それでいて作者が知られていない、

不思議な詩だけにこの詩が世界の人々の耳に入るようになると

何故か作者不詳の作者探しが始まりました。



そういう私も作者探しの一人でした。

メアリーは2004年9月15日に99歳の生涯を閉じました。

彼女の訃報を報じたタイムス紙はこの詩は

メアリー エリザベス フライさんの作だと
併せて伝えました。



<歌の曲はオリジナルか哀しみのソレアードを編曲して>

<>内はどちらでも

詩の訳の部分は多少日本的表現に

<注意>此の文章は、2007年8月15日のハワイの日本語新聞「イーストウエストジャーナル」に
      掲載されており、またハワイの日本語放送K-JAPANでも、この前後に放送されています。
      もしこの文章を引用したい方が居たら、連絡ください。
      連絡無く、この文章を引用利用された方、また単行本にされた方に対しては
      品位を疑います。マハロ


※無断転載・使用禁止

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